菅井 梅関(すがい ばいかん) 天明4年〜天保15年(1784〜1844)
大窪 詩仏(おおくぼ しぶつ)
明和4年〜天保9年(1767〜1837)
大和表具 行の行
1999装@の美 出品
常陸国多賀郡大久保村(現日立市)生まれ。字は天
民、詩仏あるいは詩仙堂。初めは医術を学ぶが、父が
亡くなってから、漢詩に転向。詩のほか書もよくし、奇行
に富み、各地を遊歴した。梅関とは天明元年江戸で、
翌年には仙台に来て交流を深めており、このころの作
品と思われる。
仙台城下の商家に生まれる。初め智義、のち善助、
兵輔と名乗り、東斎のち梅館、さらに梅関と号した。早
くより画を好み、来仙中の画家根本常南に付き、南蘋
派をはじめさまざまな画風を学ぶ。家業は弟に譲り、江
戸に出て谷文晁門下に入るも飽き足らず、京、長崎に
師を求め、来日中の清人江稼圃(こうかほ)から南画を
学ぶ。後に浪速を中心に活躍し、頼山陽に水西荘図の
製作を頼まれるも、母の死、弟の失明で仙台に帰る。多
くの文人と交流を深め、製作に励むも経済的苦境で自
害する。