中原南天棒画賛「眠牛」              
中原 南天棒(なかはら なんてんぼう)
天保10年〜大正14年(1839〜1935)            
        賛

 貢ぎ引く車待つ間を

   楽しみにやすむ

     寝牛のこころ

       やすさよ                   
    八十五翁
     南天棒ケ洲      
     丸表具

1999装@の美 出品 
           
 肥前唐津(現佐賀県唐津市)生まれ。11才で平戸
雄香寺に入ったのち、各地の高名な老師の元で修
行。筑前久留米の梅林寺、羅山元磨に嗣法。混乱
する瑞巌寺建て直しのため、本山妙心寺長老会議
で特命派遣され、明治24年瑞巌寺124世となる。財
政の立て直し、寺宝の整理・修理を押し進めるも、末
寺の反発を招き、さらに伊達政宗木像破損事件のた
め、明治29年仙台大梅寺、白石傑山寺を経て兵庫
県西宮海清寺に移る。諱は全忠、字はケ州、室号は
白崖窟であるが、自ら切り出した南天の棒を愛用した
ことから、南天棒の別号で知られ、乃木稀典、児玉
源太郎らも参禅した。瑞巌寺に伝わる多くの書画を
修理し今に残した。
 
                 
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