東 東洋 画                       
「花下人物図」        
「雪中鹿図」         
大和表具 草の行      
大和表具 行の行     
1999装@の美 出品    
東 東洋(あずま とうよう)          
  宝暦5年〜天保10年(1755〜1839)
 仙台四大画家の一人。仙台領石越村(宮城県北部)
出身。初めは玉河、玉峨と号し、後に、東洋、白鹿園と
称した。最初父、岩渕元方に画を学び、後に表絵師深
川水場狩野家三代狩野梅笑門下に入り養子となり、江
戸に上がる。さらに京、金沢など各地を遊歴。長崎にお
いて清人、方西園に学ぶ。京に落ち着いてからは応挙、
呉春らと交わり、梅笑門を離れて四条派の画風に変わ
る。寛政年間には法眼に叙され、さらに仙台藩画員とな
り、再建された仙台城二の丸や仙台藩校、養賢堂の障
壁画を描く。京においても東山新書画展に出品を重ね仁
和寺の障壁画を描き、画人番付に大関・関脇として載る
も、文政8年京を離れ、仙台に帰る。高齢にもかかわら
ず、画作に励み、後継者の育成に努めた。長男の東寅
(とういん)、次男の東來(とうらい)も画家として活躍した。                      
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